ユニバーサル哲学カフェ

障害をメインに語り合います

第7回 マイノリティであることと非モテ

日時:10/24(土)13:00~16:30(終わらなかったら延長の可能性あり。退出自由)

指定図書:ぼくらの非モテ研究会編『モテないけど生きてます』(青弓社, 2020年9月)

場所:京都市内某所(申し込まれた方にお伝えします)

定員:先着8名

参加費:ひとり200円+カンパ(金額自由)

お申込み先:yunitetsu@gmail.com(主催者に直接連絡するのも歓迎です)

 

主催者のひとりの八木です。

ぼくらの非モテ研究会さんが、本を出しました。『モテないけど生きてます苦悩する男たちの当事者研究』(青弓社)です。

 

今回は、この本の読書会をします。

実はぼくも非モテ研に、設立まもない時期から参加しています。その中で感じるのが、非モテ研はすでに自らのマイノリティ性と向き合ってきたメンバーが多いなということです。たとえばぼくも、吃音に向き合ってきた歴史があったから、非モテ研に参加できたと思います。というのも、自分を「非モテ当事者」として見るというのは、ちょっと自虐的というか、笑いがあると思うんです。そういうふうに、マイノリティとしての自分を距離をおいて見ることは、吃音を通じて自分のマイノリティ性に向き合ってきたことからできたと思います。

非モテ研は、自らを(どちらかといえば)男性だと思う人たちをメインとしたグループです。男性たちが、自分をマイノリティとして見ることがむずかしかったことからか、男性による恋愛についての語りは、権力や支配を誇示する形をなすことが多かったと思います。しかし男性であっても、自らのマイノリティ性を自覚している人たちからは、権力や支配によらない関係づくりへの模索が見えることが、今回の本によっても示されたのではないかと思います*1

目次を開いてもらえるとわかりますが、この本は非モテ研メンバーの10人+村本先生が執筆しています。非モテ研主催者である西井さんの論考がいくつかと、会のコアメンバーである足達さんやマイルさんやリュウさんといった人たちの個人研究がひとつずつ、それから西井さんと明日葉さんの共同研究があり、そしてカフェフィロの山本さんにファシリをしていただいた座談会と、村本先生の解説というつくりになっています(あとがきまで含めて全部で25あります)。今回は、参加者一人につき、どれでもいいのでひとつ以上の文章をご担当いただき、レジュメを作ってきていただきたいです。いくつになってもかまいません。かぶるの前提です。もしその日で終わらなかったら、同じメンバーで第二回をしようと思っています。

基本的にあらゆる方がご参加いただけますが、参加のしかた等にご不安のある方は、お申込み時にご一報ください。できることはします。会場は建物の2階なのですが、残念ながらバリアフリー設計ではなく、階段です。持ち上げられる重さの車椅子は、スタッフや参加者で持ち上げます。また、手話ができる人はおそらく当日いませんが、筆談などはできるだけ対応させていただきます。

また、前回のユニ哲から、会にルールを作って、試験的に運用しています。以下、そのルールです。

・この場で話されたことを、個人が特定できる形で許可なく、他の場に発信しない。

・自分のことをどの程度話すかは自由である。名前、身分なども言いたい範囲で言うことができる。

・聞いていて気分が悪くなったときなど、自由に退出ができる。また、話の内容の再考をうながすこともできる。退出されたときは、適切なタイミングでその人の望む限りにおいて、適切な話し合いやケアを持つようにする。

・この場で加害や被害が起きたとき、起きたと感じたときはそれを、会の最中でも終わってからでもいいので、各々が望む形で申し立てることができる。

・伝えたい内容の表現方法や参加のしかたは自由とする。

☆以上のルールすべてについて。この場で発生した問題について、主催者であるふたりは、他の参加者の助けをえながら、目の前のできごとに取り組む責任を有する。

 ルールは当日、会のはじめに確認します。この内容に賛同されない方もご参加いただけます。その場合は、はじめにみなが納得できるルールを作って、それから会をはじめます。会の全体に言えることですが、ご意見はお気軽にお申し出いただけたらと思います。

 

本田です。
僕にとっての「非モテ」とは加害でした。

自分の想いを晴らすために告白をすること。
相手に自分の理想を決めつけのように投影すること。現実とのズレを認めようとしないこと。
恋人がいることをステータスと捉え、単なる承認欲求のために相手を利用すること。
相手の事情を無視してアプローチをかけること。

『モテ生き』を読んで、確信しました。
やはり「非モテ」とは「加害」であると。

でも、この世に「加害」をしない人はいません。
極端なことを言えば、俗に言うモテている人もある意味「非モテ」だし、パートナーがいようが結婚していようが、皆「非モテ」なのです。

でも僕は「非モテ」というのは凄く価値のあることだと思っています。自分の加害性に気付いて、初めて自分を「非モテ」と位置づけられるからです。「非モテ」意識の強い人は、それだけ自分の加害性を意識できているということなのです。

なんか、いろいろと語弊のある文章だったかもしれませんが、第7回ユニ哲では、今一度、自分の「非モテ」的な側面と向き合いたいと思います。よろしくお願いします。

*1:とはいえ、青い芝の会についての映画「さよならCP」で脳性マヒの男性たちが、性体験をいかにも男性的に語る場面もあったので、マイノリティであるがゆえに、「強い男性」たろうとする反動も起こり得るのだとは思います。もちろん望ましいことではなく、そこからどう移行するかを考えたいです。ちなみに青い芝の会については、第4回でも取り上げました。(第4回 障害者からの社会変革は可能かー青い芝の会の歴史に学ぶー - ユニバーサル哲学カフェ